芝居を観てきた。
立ち退き期限をとうに過ぎたとあるビルの、もと戦災孤児の住人達が次々と自分のこととある人のことを語る。
聞いてんか聞いてんかと言って語る。
この芝居のハードルの高さの所以は、その膨大なセリフの量ではなく、だれが見ても幸せとは言えない自分の出自を、いかにカラリと語れるかということに尽きると思った。
問われるのは、美意識だ。
涙と汗にまみれた人生も、ひとたび他人に語ろうとすればきっと、自分でも驚くくらいの乾いた音声が出るのではなかろうか。
ということは容易に想像できるものの、演じる人間にとってそれは非常に難しいことだということも容易に理解できる。
それでも、問われるのは美意識だ。
演じる人物の涙と汗も、演じた自分の血と汗もバサッと振り切り、なんでもない顔をして舞台に立つことのできる
そういう俳優に、私もなりたいものよのう。
自分で選んだ進路に後悔はないものの、夫とはお互いの稽古の過程を見ることができなくなり、それが少々残念だ。
無理くり絞り出したダメ出しは
「鼻濁音がわざとらしい」
であった。
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